2014/10/04

政治で社会に変化をもたらすには?

こうして高貴な意識は、判断において自分が国家権力と対立する位置にあるのを感じる。国家権力は意識そのもののあらわれではなく、さしあたり共同体秩序であって、しかもそれを、意識は自分の本質であり、目的ないし絶対の内容であると意識している。
〜ヘーゲル「精神現象学」

国民が望むことは:社会の厚生、教育の充実、生活の安定、社会保障の充実、安心できる老後、未来への明確でポジティブなビジョン、希望、安全な国としての日本、などでしょう。そこにはポジティブで力動的な要望が強くあるものです。日本に限らず、政治的に死んだ米国においても、国民の大多数が教育や社会保障の充実を望んでいることが世論調査で明らかになっています。

国民が欲することを実現できない政治システムとは一体なんなのでしょうか。国民の一般意思と執行される政治の内容(=政策)との間に乖離が生じているのです。こうした事態はなぜ起きるのか?理由は簡単です。政治は国民の一般意思を充足するように機能していないからです。政治は従来は社会をデザインする事業です。我が国においても帝国時代には能動的でポジティブな政治が主に世界戦略部門で行われていました。国策として展開した満州国の開発がその一例です。戦後は旧GHQ(米国)による対日心理戦争によって日本政治から主体性がもぎ取られ、国民からは気概や矜持、美学がもぎとられました。戦後日本の政治は主に自民党によって運営されて来た歴史がありますが、彼らは構造的に売国的です。過去に目をやると、1960年発効の農業基本法によって現在の我が国の低い食糧自給率が実現されました。現在、東京都の食糧自給率は1%です。

日本国全体が逆行しています。国民は覚醒層と未覚醒層に大きく二分され、意識の二極化が顕在化し、富の二極化も進み、資本・人口・権力は東京に一極集中しています。東京と地方の二極化などさまざまな二極化が進んでいます。現状を観察すると悲観的になりそうですが、そもそも有志の政治家たちがその力を発揮できないという現状があります。

大志あふれ、公を大事にし、公を充実させる熱意をもち、国を前進させ、やがては日本国を世界の真ん中に鎮座させることを思い描いているような情熱的な政治家がほとんど国会にはもう残っていません。大抵は買収されて新参者だった時のビジョンや情熱はかき消されて行くのです。こうして降伏して大志を捨てた政治家たちが、国のデザインを歪んだものにしたのです。法人のための利益誘導を行い、利権の保全に努める... そこにもはや魂の輝きはありません。政治は社会デザイン事業ですので、政治主体で祖国を復活させるべきです。社会の変化はこうして、政治主体でもたらされるでしょう。またその方が理想的です。

実際の変化には、やはり日本国の独立しかありません。通貨発行権を国家が掌握することは必須です。日銀の国有化。通貨、クレジットの国家による一元管理。

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