2014/12/19

民主主義に代わる政治体制、それは能力主義

民主主義という概念は古く、古代ギリシアにまで遡ります。現代世界において民主主義は偽善的ではないでしょうか。間接民主主義ということで投票したらそれで終わりで、為政者達は当選すればそれで仕事の半分は達成したことになり、そもそも大抵の政治家は政治家ではなく政治屋です。買収済みの政治屋でありパペット(操り人形)でしかありません。我が国においては人形使いは官僚であり在日米軍、そしてハンドラーズと呼ばれる少数の人間です。彼らの特殊意志を日本という全体に押し付け、自己奉仕者にすぎない彼らにはガバナンスの任に就くための実質的な素養はありません。貪欲・支配欲・独占欲・金銭欲... こうした衝動に突き動かされている連中が大衆・民衆を欺く言葉が「民主主義」です。民主主義ということばは、それを発している話し手によって意図が異なってきます。力を持つ者達が使う際は、さも自分達には国の意思決定権が委ねられているかのような錯覚に陥れるために人々へのプロパガンダ・マジック用語として用いられます。力を持つ者達、つまり国のガバナンスを担う「上に立つ者達」は端的に言って超金持ちグローバルエリートです。特権社会にあっては人々は無名であり、誰でもなく、単なる統計上の数字でしかありません。有名になり、金持ちになり、超金持ちエリートの大きなクラブに入って初めて影響力を持ちます。そこに能力や才能、努力が占める席はなく、コネクション・口先の達者さ・資産・容姿などと言った皮相的な項目がものをいいます。
学位のない金持ちの子女は、学位のある中流階級の子女よりも2倍の確率で社会における「成功」を手にすることができます。世界管理チームは6,000人から成りますが、さらに彼らの下に何人もいて、ネズミ講的な支配のヒエラルキーになっているのが現状の世界です。仕切っているのは金持ちエリート達です。

民主主義ではなく能力主義を。血脈ではなく、才能・知性を。


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