2017/01/26

関ヒロノ - 啓蒙主義は党派イデオロギー

出典:関ヒロ野著「なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか」(NTT出版、2016年)

*****以下引用*****
 
 そして一連のスキャンダルはアメリカの略奪で終わったのではない。私のみるところでは、十八世紀ヨーロッパの啓蒙主義もスキャンダルです。お話ししたように、宗教戦争がもたらした不安が、アメリカの略奪と征服によるヨーロッパ経済の繁栄によって自己満足に変わっていった。この自己満足を代表しているのが啓蒙思想なのです。啓蒙主義の起源は十七世紀にありますが、十八世紀がその頂点でした。ただ、指摘しておきますが、啓蒙主義は、当時のヨーロッパの知識人とエリートの思想であり、教養人ぶりたい王侯貴族や上流社会のサロンでもてはやされたものです。民衆は無縁でした。また統一された教義や経典があったわけでもありません。啓蒙主義者にもっとも影響を及ぼしたのは英国のジョン・ロックでした。フランスのいわゆるフィロゾフといわれた啓蒙主義者は、みなロックのブルジョア哲学の祖述者だったといっていい。『哲学書簡』でイギリスを礼賛したヴォルテールなどその典型です。

 そして啓蒙主義はキリスト教の教会と聖職者を目の敵にする一種の党派的イデオロギーでした。だから啓蒙主義を十八世紀における科学の発展とごっちゃにしてはならない。十八世紀には、いい意味での知の拡大があって、大航海時代以来さまざまな異質な社会に接したことによる人類学的な思想の発展とか、リンネの植物学とか、ビュフォンの博物学とかも生まれた。これらの科学の成果は啓蒙主義の産物ではありません。

 啓蒙主義は政治的イデオロギー、キリスト教を迷信とし敵視した破壊的性格を持つイデオロギーなのです。キリスト教を知のレベルで迷信として攻撃し、キリスト教の原罪の教義に対立して、人間は基本的に善良で理性的な存在として完成していると論じる。この世に善良でも理性的でもない人間がいるとすれば、それは教育が足りないからだ。教会の迷信や権威が人間を抑圧して偏見にとらわれた邪悪で愚かな存在にしている。だから教会と聖職者の影響力を一掃すれば、人間の善良で理性的な本質が自ずと開花することになる。これはキリスト教の原罪の教義をそのまま百八十度ひっくり返したような議論です。

ルソーの啓蒙主義批判

 今述べたあたりが、ルソーは啓蒙主義者ではない所以なのです。ルソーとヴォルテールは十八世紀フランスの文人としてよく一緒にされますが、ルソーは啓蒙主義者ではありません。ルソーはパリの党派的な啓蒙主義者たちと対立し、それで迫害されました。ルソーの視点では、人間は初めから完成された存在ではない。人間は善良で理性的な存在でありうるけれども、そうであるための条件とは簡単なものではない。生物学的な種としての人間にはさまざまな欠陥がある。原罪は教会の虚構だとしても、容易に人間を賛美してはいけない。動物には集団形成の本能がある。ところが人間は社会分業のために密接な協力が必要なのに、集団形成の本能を持っていない。だから人間は本能ではなく文化と政治によって社会を形成しなければならない。しかも人類の文明はこの種としての欠陥を是正するどころか欠陥を拡大するかたちで発展してきた。だから文明化を手放しで賛美するのは危険なことである。ルソーにすれば、善良で理性的な人間が相互に利益を確認し合えば完全な社会ができるなどというのは欺瞞か錯覚なのです。

 ルソーから見ると啓蒙主義者はキリスト教を迷信として批判しながら、その神学的議論、原罪の神学を理性の神学にひっくり返しているだけなのです。啓蒙主義者のいう理性とは、キリスト教神学では「ルーメン・ナチュラーレ(自然の光)」と呼ばれたものです。啓蒙はフランス語では"lumiéres"、英語では"enlightenment"です。どちらも光という言葉が入っています。理性の光明さえあれば世界と人間は完全なものになるというのは、結局、神学的な議論なのです。啓蒙主義者がキリスト教を迷信として攻撃したことは、初期中世にカトッリク教会が西欧各地に民俗として根付いていた土着の信仰や風習を迷信として撲滅しようとしたことにそっくりです。どちらも「正しい思考様式(ORTHO-DOXY)」を定め、それから外れる思想を異端や迷信として排除し禁圧しようとします。これは身体や財産ではなく思想を冷酷に改変し支配する権力、ジョージ・オーウェルが小説『一九八四年』で描いた、思想犯罪を取り締まる思想警察です。ルソーは、その後半生で、パリの啓蒙主義者たちという思想警察によって監視され迫害されたといえるでしょう。その点で啓蒙主義者は、宗教戦争がもたらしたアングスト、不安が文明の物質的な改善で幸福感、自己満足感に変わっていった過程を代表しているのです。啓蒙主義者のこうした、人間は理性的存在として完成されうるという議論からは、人間は教育によっていくらでも改造できるという『人間機械論』のラ・メトリーのような思想が生まれてきました。これが啓蒙主義の中のもっともスキャンダラスな要素でしょう。

******以上引用迄*****



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